東京新聞から2つの話題

10年ぐらい前に
区の農業学校で
農家の指導を受けて
とうきび
えだまめ・ほうれんそう・ぶろっこり
トマト・なすなどを
作ったというか
栽培をほとんど手伝ってもらい
収穫しました。
美味しかった。
でも、車を手放すと、遠くて、通いきれず、
抽選にも当たらず
それっきり。
練馬区は広くて、通いきれないのです(笑)

さて、今日お伝えしたいのは
奮闘している東京新聞の記事から2題。


一つは
水俣病患者の側に立ち続けた
医師原田正純さんの話

水銀は海で拡散されるのではなく、
魚に濃縮されて
胎児性水俣病の原因となることを発見。
警鐘を鳴らし続け、
政府の御用学者とは一線を画しました。


水俣と同じことを
福島原子力について
政府がしようとしていると憂いる


海の水で
放射能は薄まらない

大学院生の時から、
水俣病人を見てしまった責任感
持ち続けて
優しく対処してくれた医師。

見て見ぬふりの・・・



もう一つは
100m走オリンピック選手に選ばれたけれど
聖なる日曜日は走らない


平日 400m走り 金メダルを獲得した
200m走り 銅メダル獲得した
エリック・リデル宣教師の話


炎のランナー」を
集会で教えてもらいました。
主のために走る喜びにあふれたリデルの表情

そして、
日曜日にライバルのユダヤ人が100mに優勝する一方
パリの教会でメッセージをするリデルの格調高い
みことば

実際は
中国へ伝道してのち
宣教師になるわけですから
パリの教会でメッセージしたかどうかは不明でしょうねぇ〜。

イザヤ書
「鷲のように高く・・・」
いいですねぇ〜。

救われて良かったぁ!
と思った瞬間です。

そのあとは
実を結ぶことの少ない
信仰心の薄い
成長の遅い者です





さて、リデルは
オリンピックの輝かしい経歴を捨てて、
ずっと中国伝道を続けていた父母の後を歩みます。
中国伝道に行き、
退去を進められても、
伝道の道を続けます。
1943年にリデルは日本軍によって抑留。
1945年山東省の濰坊の収容所で脳腫瘍により昇天。

捕虜収容所でスティーブン・メティカフ少年がリデルに会う。
リデルは「迫害する者のために祈りなさい」とさとした。
リデルの信仰に触れて、
メディカフ少年は日本と日本兵のために祈り始めた。
戦後宣教師として日本に38年間滞在し、
日本人の救いのために働いた。
2005年「闇に輝くともしびを継いで」いのちのことば社